ハラスメントはなぜ50種類まで増えたのか。「概念のインフレ」を研究した論文があった

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パワハラ、セクハラ、カスハラ、スメハラ、ロジハラ、ハラハラ・・・

日本のハラスメントは増え続けている。新しい「〇〇ハラ」が生まれるたびに、「また増えたよ」と笑う人と、「やっと名前がついた」と安堵する人に分かれる。

この現象、実は心理学に専門の研究領域がある。「concept creep(概念の漸進的拡大)」。日本語にすると「概念のインフレ」だ。

調べてみると、ハラスメントが増殖するのは日本特有の現象ではなく、英語圏で40年かけて実証されてきた、社会全体の構造変化だった。今日はその研究を紹介する。

「危害」の概念は、横と縦に拡大し続けている

2016年にPsychological Inquiry誌に掲載されたメルボルン大学のHaslamの論文(被引用数513件)は、この分野の出発点だ[1]。

Haslamは、虐待・いじめ・トラウマ・依存症・偏見といった「危害に関わる概念」の意味が、ここ数十年で一貫して拡大し続けていることを示した。拡大には2方向ある。

横の拡大:質的に新しい現象を含むようになる。「いじめ」が学校から職場へ、対面からネットへ。

縦の拡大:より軽微な現象まで含むようになる。身体的暴力だけだった「虐待」に、言葉や無視が含まれるようになる。

ハラスメントが50種類に増えた日本の状況は、まさにこの「横と縦の拡大」が同時進行している教科書的な事例と言える。

これは思いつきではなく、データで確認されている

「そんなの印象論だろ」と思うかもしれない。ところが、これは計量的に検証されている。

2021年にAmerican Psychologist誌に掲載された研究(被引用数21件)は、数十年分の心理学論文と一般書籍の巨大コーパス(文章データベース)をコンピュータで分析した。結果、「harm(危害)」という言葉の出現頻度はここ数十年で急上昇し、危害関連の概念の意味範囲も実際に広がっていた[2]。

さらに別の計量言語学研究(被引用数28件)では、「harassment」「trauma」「bullying」という個別の単語を1970年代から追跡し、「harassment」はより心理的な意味へ、「bullying」は職場などの新領域へと、実際に意味が拡張していたことを確認している[3]。

つまり「最近なんでもハラスメントって言うよな」というあなたの体感は、データで裏付けられた言語的事実だ。

なぜ拡大するのか:1980年以降、道徳の重心が「危害」に移った

では、なぜ概念は膨張するのか。

2019年のPLoS ONE掲載研究(被引用数99件)は、1900年から2007年までの英語書籍に登場する304の道徳語の頻度を分析した。発見は興味深い。20世紀を通じて道徳語には栄枯盛衰があるが、「苦しみとケア」に基づく危害ベースの道徳語だけが、1980年以降に急上昇していた[4]。

社会が物理的に安全で豊かになるほど、人々の道徳的関心は「残った危害」に集中していく。危害への感度が上がれば、より小さな危害にも名前がつく。名前がつけば認知され、認知されればさらに感度が上がる・・・このループが概念のインフレを駆動している。

重要なのは、この拡大には正当な側面があることだ。かつて「指導」と呼ばれていた暴力や、「冗談」と呼ばれていた性的な嫌がらせに名前がついたことで、救われた人は確実にいる。Haslam自身も、概念の拡大は「危害への感受性の高まり」の反映であり、動機としては善意だと認めている[1]。

ただし、副作用も研究されている

一方で、2020年のEuropean Review of Social Psychologyのレビュー論文(被引用数68件)は、概念のインフレがもたらす副作用を整理している。社会的対立、政治的分極化、言論の萎縮、そして「被害者アイデンティティ」の固定化だ[5]。

職場に翻訳するとこうなる。ハラスメントの定義が曖昧なまま拡大すると、管理職は「何がアウトか分からない」ので指導全体を萎縮させる。一方で、あらゆる不快を「ハラスメント」と呼ぶ語彙を手にした側は、自分を被害者と定義することで問題解決の主導権を手放してしまうことがある。

どちらも損をしている。これが「ハラハラ」という言葉が生まれた日本の現在地だ。

解決策:概念のインフレ時代を生きる技術

研究から導ける個人の対策は3つある。

①「名前がついた=深刻」ではないと知る。 概念の拡大は社会の感度の変化であって、すべての「〇〇ハラ」が同じ重さではない。前回の記事で書いた4基準(反復性・実害・意図・業務上の合理性)で重さを自分で測る習慣が、インフレへの最良の防御になる。

②言葉の感度差を「世代の故障」ではなく「辞書の違い」として扱う。 上司世代と部下世代では、同じ言葉が載っている辞書のバージョンが違う。これは研究が示す通り数十年単位の言語変化[2][3]なので、どちらかを責めても解決しない。翻訳の技術だけが解決する。伝え方を体系的に学ぶことは、この時代の管理職・親の必須スキルになりつつある。

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③本物の危害からは、ちゃんと逃げる。 概念インフレの議論は「だから我慢しろ」という話ではない。4基準が揃う本物のハラスメントは、感度の問題ではなく実害だ。記録を取り、窓口を使い、環境を変える選択肢を持つこと。

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この記事の実践編として『それ、本当にハラスメント?受けた側のための自己判定フローチャート+「相談・記録・流す」の3択判断基準』をnoteで公開している。モヤッとした出来事を5分で仕分けられる形にしてあるので、眠れない夜のお守りにどうぞ。

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今日の種はここまで。
また次の種で会おう。

参考文献

[1] Concept Creep: Psychology’s Expanding Concepts of Harm and Pathology. Psychological Inquiry (2016). https://doi.org/10.1080/1047840x.2016.1082418
[2] The cultural dynamics of concept creep. American Psychologist (2021). https://doi.org/10.1037/amp0000847
[3] Evaluation of Semantic Change of Harm-Related Concepts in Psychology. ACL Anthology (2019). https://doi.org/10.18653/v1/w19-4704
[4] Twentieth century morality: The rise and fall of moral concepts from 1900 to 2007. PLoS ONE (2019). https://doi.org/10.1371/journal.pone.0212267
[5] Harm inflation: Making sense of concept creep. European Review of Social Psychology (2020). https://doi.org/10.1080/10463283.2020.1796080

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